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一言半句
-Diary-

平成二十二年 睦月
-January, 2010 -


一月一日

緊急入院

おふくろが緊急入院。以下時系列で覚え書き。時刻はおおまか。

元日から最高潮(クライマックス)だぜ。


一月二日

ICU 面会 @2010-01-02

午前、近くに住む姉を連れて親父と病院へ。手の消毒とマスク着用を済ませて ICU でおふくろと面会。二人とも普通に応対できているおふくろの様子を見て安堵。事前に状態の説明はしたのだが、まあ百聞は一見にしかずか。

ただ、腹には身体を拘束するベルトがしっかりと着けられている。むやみに身体を動かそうとする衝動は収まっていないのかも知れない。あと呂律がまわらなげ。麻痺が残っているのだろう。血液透析はまだ行なっていないとのこと。視床部出血の再発を懸念か。本人曰くまとまった睡眠がとれずうつらうつらしているらしい。最高血圧は 140mmHg 前後。

さしあたり持ってきて欲しい物を聞いて、昼前に帰宅。

初詣と年始挨拶

大安の三日に行こうと思っていた初詣だが、いつ病院から緊急の連絡が入るか分からないので、行けるうちにと予定変更して午後行くことにした。

行ってみると参道の中ほどまで行列。三が日中の午後は毎年この状態なので例年は朝九時までに済ませているのだが、まあしかたない。とりあえず並び、途中古いお守りを納めたり手水舎で手を洗いつつ約四十分、ようやく賽銭箱の前へ。賽銭を入れて二礼二拍手一礼で参拝。しかるのちお守りを買っておみくじを引く。吉。ぜいたくはいわない。

ついで、と言ってはなんだが連れの酒屋へ年始の挨拶。おせちをつまみつつあれこれ話をしているうちに日が暮れてきたので遅くなる前に帰宅。

妙に忙しいぜ。


一月三日

ICU 面会 @2010-01-03

午前、おふくろの弟に当たる叔父へ入院の旨連絡したところ、面会したいとのことで叔母ともども連れて病院へ。

到着が思ったより早すぎて時間潰しに駐車場の車中で状況説明などしたあと、ICU へ。やはり二人も本人の様子を見て安心した模様。世間的に「脳内出血」と言えば半身不随や植物状態を連想するだろうから無理もない。連れてきた甲斐もあるというもの。

今日は透析を三時間行ない、お粥など消化のいい食事も摂ったとのこと。ダスキンの交換やお金のしまい場所についてしっかり話しており、記憶なども大丈夫そう。

叔父、叔母を連れ一旦家に戻り、居間で一時間ほど話をする。年をとると病気が怖いね、としみじみ。

夕方、頼まれた物を届けにふたたび病院へ。車いすに座ってそろそろ夕食というところだったので、靴、入れ歯、携帯電話、替えのパジャマなどを渡して早々に帰宅。

なんて忙しい三が日。


一月五日

面会 @2010-01-05

午前、親父とともにおふくろの面会のため J 病院の ICU へ。中待合室で手の消毒、マスク着用を済ませたところで中から出てきた看護師さんから「今日から一般病棟に移動して、現在血液透析中です。病棟まで案内しますので戻るまで談話室でお待ちください」と言われ、案内された談話室で待機。

さて、十二時過ぎには終わって戻る、と聞いたのだが待てど暮らせど声がかからない。状況を聞こうにもナースステーションは人がおらず。結局午後一時すぎ、車いすに座り廊下の携帯電話エリアで自宅へ電話を掛けているおふくろを見つけてようやく病室へ。おふくろ本人は十二時半には戻っていて昼食も摂ったらしい。連絡の悪さはあいかわらず。

透析は今日も三時間。食事もとれているが気を抜くとすぐにこぼしてしまい、早くも替えのパジャマがない状況。パジャマは替えを用意すればいいとして、要リハビリをうかがわせる。不随意運動は今のところない様子。リハビリは発症から三ヶ月が勝負と聞くから今日明日にでも開始したいところ。

いくつかの必要な品物は揃え次第持ってくることにして、面会終了。一階の入退院受付で入院手続きをしてから午後三時に一旦帰宅。本日初めての食事を手早く済ませ、明日以降予約してあった検査や診察の予約票を届けに再び病院へ。担当の K 看護師に診察カードとともに預けて本日のミッション完了。

銀行への預け入れを済ませ、連れへ原稿の資料を届けてから帰宅。

おふくろが一般病棟へ移ったため、面会や届け物は親父に一任。


一月六日

リハビリ病院への転院相談

夕方、J 病院から PHS に連絡。相手は脳外科担当の K 医師。曰く、経過が良好なのでリハビリを開始したが当院はリハビリ施設があまり充実していない。血液透析も行なえるリハビリ施設の充実した病院への転院が望ましく、条件が揃った隣のリハビリ総合病院へ問い合わせたところ受け入れ可能との返事をもらったので、そちらから一度連絡して欲しい、とのこと。

即刻そのリハビリ総合病院へ連絡して担当相談員の O さんと相談。担当医師の都合に合わせつつ出来るだけ早いうちに面談するため来週火曜の午後に予約を入れてもらう。

当日は保険証と初診料 2100 円を持参のこと。


一月十二日

転院相談@リハビリ病院

午後、相談のため転院予定のリハビリ総合病院へ行く。外来受付で診察カードの作成と初診料の支払いをしたあと、総合受付前でしばし待機。受付裏の相談室に通され担当医師と看護師長とで面談開始。

まずは過去の病歴と現在の状況を洗いざらい聞かれる。転院元の J 病院からデータを取り寄せれば済みそうではあるものの、とりあえず俺が把握してることはひととおり話した。少しでも多くの情報をということなのかも知れない。

次にこの病院で行なえること。透析治療を行ないながらのリハビリテーションに尽きるのだが、入院期間の上限は発症から六ヶ月。これは平成十八年度の診療報酬改定で脳血管疾患のリハビリテーションは 180 日を算定日数上限とされたことに基づく。医療業界はこの改定についての問題を取りあげているが、ともあれこの期間内でいかに結果が出せるかが勝負となる。

そして退院後のこと。自立した生活を目指してリハビリを行なっていくが、回復の程度によってはデイケアを利用しつつ自宅のバリアフリー化や家族による介助が必要となる。状況とタイミングを見計らって理学療法士やケースワーカの方と相談することになるだろう。

ちなみに入院待ちは現在四人。リハビリ病院という性格上、長期入院患者が多くなかなか空きが出来ないのだろう。こちらとしては一刻も早くリハビリに専念させたいところだがそれは誰しも同じ。

担当医師と看護師長との面談が終わり、次は担当相談員の O さんと。具体的な入院費用や準備する物、病院内での決まり事、院内施設の簡単な説明などなど。身体障害者手帳一級にあたるので医療費は助成されるが基本は二人部屋なので一日 3000 円かかる。そのほか食事や身の回り諸々ひっくるめて毎月十数万といったところ。結構な額だが「じゃあ結構です」というわけにもいかない。入院中に使う物などは病院によって流儀が違うのでおいおい揃えていくつもり。

ひととおりの面談が終わった時点で時計を見ると一時間が経過。電話口では三十分ほどで済むと聞いていたのだが、まあよい。すでに日も暮れかかっていたのでまっすぐ家に帰り、親父に概要の説明と書類を渡して任務終了。

院内全体が明るい雰囲気なのは高評価。


一月十六日

面会 @2010-01-16

前日、面会から帰ってきた親父に「二十一日に転院が決まった」との報を受けたので、状況の確認がてら午後の面会に同行する。到着直後は病室が留守だったので談話室で待っていると、今朝電話をかけてきた姉が廊下を通り過ぎるのを発見。合流。

透析から帰ってきたおふくろが病室で遅い昼食を摂っている様子を見るに、やはり左半身の不全が目につく。握力然り、動き然り、姿勢の保持然り。筋力の向上や右半身との協調動作の訓練が必要そうだ。

担当の看護師さんが来たので状況と転院までのスケジュールを聞く。やはり左に力が入らないので身体の移動には支えが必要だそうだ。それと昨年中に外来予約していた検査と診察は十八、二十日で済ませるという。腎内科、精神神経科の二件。前者は腹膜炎の予後を確認するだけでさして心配していないが後者は少し前から判断力、注意力、忍耐力が著しく落ちているため気がかりである。

この他かかっている診療科の状況もひととおり説明してくれ、状況の確認として十二分の回答をもらえた。なんとも頼もしい看護師さんでありがたい。ただここは急性期の患者を治療する病院でリハビリに力を入れるには転院すべきだし、診療科間の軋轢も垣間見えるのでそうそう長居もできない。とりあえず本人から便秘気味だと聞いたので下剤の処方をお願いしておいた。

おふくろが話があるとかで姉は残り、自分たちは洗濯物などを回収して撤収。


一月二十一日

リハビリ病院への転院

朝、おふくろの転院のため親父とともに J 病院へ。病室へ行き、ベッド周辺を片付けて持って行く物、持って帰る物を仕分け、それぞれ車に積む。看護師さんから各診療科の書類を受け取り。

頃合いになったので親父は正面玄関に車をまわし、俺は入退院受付に行く。保険証どこだ面会証ひとつ忘れてきたとどたばたしつつ退院証明書の受け取り。正面玄関でおふくろを車いすから車に乗せ、ここまで見送ってくれた看護師さんと看護学校の学生さんにお礼を行って転院先である隣のリハビリ病院へ。

リハビリ病院の正面玄関に車をつけ、総合受付で声を掛けて車いすを用意してもらう。おふくろを車いすに乗せて病室へ運び、相部屋のおばあさんに挨拶ののちベッドに移動させて一息。入院手続きの書類を会計窓口へ、各診療科からの書類を看護師さんに渡す。

看護師さんの説明や当日の担当医による簡単な問診、レントゲン検査、院内の案内などをこなしながら、空いた時間に身の回りの物を車から運び入れ。まだ勝手が掴めてないのでどこになにを置いたものやら。そうこうするうちに運ばれてきた昼食は品数が多く俺から見ても美味そう。病人に食べさせて大丈夫なのか心配になるが素人がどうこういう筋合いでもない。とりあえず自分たちは一時撤収。

午後、途中で買いそろえながらさしあたり必要な物のいくつかを届けに再び病院へ。本人は透析中であったため、担当の看護師さんに声を掛けて入院計画書を受け取り、入院中に使う車いすやテレビのレンタル申し込み票を書いて提出。透析からはまだまだ戻ってきそうにないので看護師さんに挨拶して帰宅。

いざ長期戦。


一月二十四日

面会 @2010-01-24

午後、別の用事がてらおふくろの面会に行く。ベッドでテレビを見ていたので声をかける。顔色が少し良くなったようだが横になっていても左半身の麻痺は分かる。

リハビリは理学療法を始めたばかり。他の療法はまだ。

クレアチニンが 9mg/dl を超えるため血液透析は 4 時間。火、木、土曜の午前。その透析室を仕切っているのがお世話になっていた透析クリニックに昨年十二月まで勤めていた方という事実。先方はおふくろの病状を知っているし、おふくろは気心が知れてるしで助かるというもの。せっかくなのでたまに検査結果をプリントしてもらえるよう言づけをする。


一月三十日

掲示板閉鎖

少し前から掲示板にスパム書き込みが目立つようになった。ボットネットを使っているのかリモートホストがバラバラなため掲示板スクリプト自体には対抗できるスパム対策はなく、後手後手で削除するはめになっている。また、出回っている掲示板スクリプトをざっと探した限りでは画像による CHAPTCHA での対策しか装備しておらずテキストブラウザや音声ブラウザといった非視覚系ブラウザでの投稿ができない。

メールより気楽であったり複数人でのやりとりもできる点において掲示板はあった方が良いのだが、閲覧対象を選ばない方針からすると、こういったところで視覚系ブラウザと非視覚系ブラウザとの差を作りたくない。残念だが今回掲示板を閉じることにした。

設問形式のスパム対策ができるスクリプトが見つかればまた復帰させよう。


一月三十一日

面会 @2010-01-31

午後半ばにおふくろの面会。

リハビリは理学、作業、言語ともスタート。毎日各一時間の訓練スケジュールが壁に貼られている。杖を使う訓練をしたという。おそらく理学。

頭部 MRI 検査の結果について。過去にあった(が気づかなかった)と思われる右前頭葉の梗塞跡はほぼ消えかかっており、右視床部の出血像のみ。

院内の眼科で眼底検査。異常なし。

TAGUCHI "SP48K" Nobuaki <mailto: sp48k@t12i.net>
WebSite URI: http://sp48k.t12i.net/