前回の文章を書いている時、操作性の部分で以前から感じていた事が思い浮かんできたので、それについて徒然に綴ってみようと思う。
前回、携帯電話の操作性でのくだりで、「元来、自分としては1つのスイッチに複数の機能を割り付ける、と言う設計はあまり好きではない。」
と書いたが、最近の一眼レフカメラについても同じように考えている。
最近はコンパクトカメラは勿論、一眼レフカメラも電子制御化が進み、液晶画面やコマンドダイアル、十字キー等で多彩な撮影機能を提供している。これにより Man-Machine total での撮影技術は向上し、綺麗な写真を撮る事が容易になっただろう。
しかし、「良い写真」と呼ばれるものを得る為には撮影技術だけではなく、現在自分が置かれているシチュエーションから”それ”が得られるか否かを嗅ぎ分けるセンスと、一瞬のシャッターチャンスを捉えられる反応速度も不可欠と思われる。
センスの方は日々磨いて貰うとして、反応速度は単純に考えると撮影者の反射速度とカメラの操作時間の和となる。反射速度は撮影者の天賦と修練如何だが、カメラの操作時間は電子的、機械的動作速度もさることながら、その User Interface(UI) に多くを負うと考える。たとえスイッチ類の位置が人間工学的に最適化されていても、それによって多彩な機能を備えていても、それが撮影者の求める設定に至るまでに複雑な操作を要求したならば、途端に操作時間は肥大し結果的にシャッターチャンスを逃しかねない。
そんな結果を招く UI の設計は本末転倒だと思うが、どうだろう?
さて、UI の話はこれくらいにして。
カメラは今でこそ高度な電子機器となっているが、少し前までは純粋な精密機械、さらに遡ればレンズと感光板が入った只の暗箱に過ぎない(ちなみにカメラの語源はラテン語で「カメラ・オブ・スキュラ」、『中が暗い箱型の部屋』と言う、絵書きが風景を書き写す大型の部屋を指すそうだ)。
特殊な例外を除き、突き詰めれば撮影時のカメラが担うパラメータはレンズの焦点距離、フォーカス、シャッタースピード、絞り、これだけ。これらを露出計の指示値と撮影意図を基に設定する事が「撮影する」という作業。必要な物はフォーカスリング、シャッターダイアル、絞りリング、そしてシャッターボタンのみ。余計な自動機能は必要ではない。
例を挙げてみよう。
最近のカメラによく見られる『風景モード』、『マクロモード』などは上記のパラメータをそれぞれの被写体に対して「一般に良いとされる」セッティングに合わせるだけ(従って「ベスト」ではない)。フラッシュを併用する『夜景シンクロ』も、近くにある被写体までの距離さえ判れば、背景の明るさとフラッシュの Guide No. を基に各パラメータの決定をすれば良い。どちらもさして難しくはないはず。
結局、人間が行っていた事をカメラが代行してきている。煩雑な操作を代行する分にはもちろん大歓迎。AutoExposure(AE), AutoFocus(AF), DataRecording, etc. 、癖のあるモノもあろうがそれを把握した上で使えば撮影作業の時間が短縮される。良い事だと思う。
しかし「何を撮りたいか」「どういう雰囲気に撮りたいか」と言った、撮影者の意志を反映させる部分を人ではなくカメラが代行、決定するのは如何なものか。撮影者がその部分をカメラに委ねた時点で、その人は写真を撮っていると言うより、カメラに撮らせて貰う、若しくは撮って貰う、と言った方が正しいのではなかろうか。
一眼レフを使う人全てに自動機能を OFF にしろ、とは言わない。前述の通り良い部分もあるが、光学的化学的観点での「何故写真が写るのか?」や、カメラの基本原理くらいは知っておいて損はないと思う。その手の書籍を紐解けば難しい事ではないはず。そうすれば少なくとも『プログラムモード』なる「何を、どう撮るか」がブラックボックス化された代物を使うことも減るだろう。
一眼レフは「作品を撮る」カメラであるし、それが出来る機械だ。
知識を得るのが面倒、と言う向きには、コンパクトカメラをお勧めしたい。一眼レフよりよほど小型、軽量、安価であるし、余程の条件でない限りは失敗知らず。記念写真やスナップを撮る分には一眼レフよりずっと使い勝手が良い。
もし、知識を得るのが面倒、でも作品は撮りたい、という人がいるならば。それは虫の良すぎる考えだ。古今東西、優れた作品を輩出した人物は少なからずその為の努力と苦労をしている。
満足いく物が得られたときの達成感を思えば、「産みの苦しみ」もまんざらではないと思うのだが。