午後から降り始めた晩秋の冷たげな雨は、時計の短針が "5" の文字を指し示さんとする今も降り続いている。
「はぁ…」
ため息を一つ吐くと幸せが一つ逃げていく、と言っていたのは誰だっただろう? などと詮無きことを考えながら、天野美汐は中央校舎の生徒用玄関で低い雲の垂れ込める暗い空を恨めしそうに見上げていた。
―― 美汐がこんな所で立ち尽くしている理由。それを有り体に言ってしまえば「朝寝坊して天気予報を見損ね、傘を持ってこなかった」、つまりは自業自得だ。しかし遠慮無く降り続く雨を前に傘を持たないこの状況に相対している彼女の身を思えば、嘆息の一つくらい罰は当たるまい ――
「ふぅ…」
また一つ、なんて数えてる場合ではなくて。さてどうやって帰ろうか。もはやこんな時刻に帰り掛けのクラスメイトに会って……とは都合が良すぎるし、ビニール傘を買おうにも最寄りのコンビニまではそれなりの距離がある。たとえ走ってもお店に着く頃には濡れ鼠になるのが関の山だろう。
残る手は……母親に連絡して傘を持ってきて貰うくらいだ。あと小一時間ほどでパートタイマーを終え自宅に着いているはず。それまで待つ事にしよう。そう美汐が結論付けた時、うしろから彼女宛ての声が聞こえた。
「よぅ天野、なにこんな所で暗い顔してるんだ?」
振り向かなくても声で分かる。そもそもこんな調子で自分に声を掛ける男の人なんて、二人といない。美汐はさっきまでとは異なるニュアンスのため息を一つ吐くと、声のあった方へ向き直りながら相応の言葉を返す。
「暗い顔とはご挨拶ですね、相沢さん」
「下を向いてため息吐いてた天野の姿を形容するにはピッタリだと思ったんだがな」
「思ったとしても女性に向かってそんな事は言わないものですよ」
「そう言うものなのか」
「そう言うものです」
首を傾げ「ん〜」と唸りながら、納得したのか否か判別不能な表情を浮かべる祐一。
「それはともかくとしてだ。どうしたんだ、こんな所で」
「えっと……、傘を持ってこなかったので帰り方を考えていたところです」
「なんだ、それなら俺の傘に入れてやるよ」
そう言うが早いか、祐一は右手に持っていたワンタッチ傘を景気良く広げ、「さ、帰ろうか」の言葉とともに微笑んで見せてくれたのだが。
「帰ろうか、って相沢さんと私とでは家の方向が違いますよ」
「俺が天野の家に寄って帰れば良いだけのことだ。全然構わないぞ。“旅は道連れ世は情け”と言うしな」
「私が構いますし、旅じゃありません」
「まあ気にするな。言葉のあやだ。
それとも天野は俺に、可愛い後輩を見捨てて帰ってしまうような薄情な奴になれというのか?」
さあ、こんな口調になった彼はかなり頑固だ。私も引けを取るつもりはないけれど、説き伏せるにはそれなりに骨が折れる。そもそも傘が無くて困っていたことは間違いないし、彼の表情や雰囲気から察するに純粋な親切心から出た言葉と思える。せっかくの申し出を断る理由など無いだろう。
「……わかりました。それではお言葉に甘えさせていただきます」
―― そして美汐は傘を差す祐一の隣へ。“可愛い後輩”という言葉に我知らず口元を緩めながら ――